2017-01-26

北欧のデザインと日本のデザイン

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 前回のフィンランド・デザイン展の図録に、北欧と日本のデザインの関わりについて記されていたので、少し抜き出しておく。

 また、1950年代に日本でも雑誌「工芸ニュース」で北欧デザインがさかんに紹介されている。たとえば、1954年の第10回ミラノ・トリエンナーレを取材した「工芸ニュース」は、「フィンランドは前回(第9回)にはウィルカラをはじめとして6つも大賞を持ち帰ったが、それら人達が、今回もまた、更に新しい研究を発表して気をはいている」と報告している。北欧のデザインは、1950年代に日本のデザインの一つの指針とされたのである。

日本経済新聞社分化事業部・キュレイターズ企画構成『Finnish Design 2017』日本経済新聞社 2017年 p.21

 モダンデザインは、一般的には地域性も持たないインターナショナル・スタイルを目指した。しかし、北欧で発展したモダンデザインは、地域性をいかしたスタイルであった。だからこそ北欧デザインの「スタイル」という言い方が出てきたのである。それは、後にストックホルムの批評家ユルフ・ハルド・アフ・ゼゲルスタッドが使った用語、「ナショナル・インターナショナル」スタイルといっていいだろう。つまり、インターナショナルなスタイルでありながら、地域あるいは国固有(ナショナル)なデザインということである。

日本経済新聞社分化事業部・キュレイターズ企画構成『Finnish Design 2017』日本経済新聞社 2017年 p.22

 日本のモダンデザインを振り返って見ると、日本的なインターナショナル・スタイルを意識したのは、1950年代のことだ。1950年代から60年代にかけて、渡辺力剣持勇松村勝男柳宗理芳武茂介あるいは坂倉準三建築研究所などでデザインされた家具や日用品のデザインは、「日本」を意識していた。それを、当時「日本調モダン」デザインあるいは「ジャポニカ」スタイルと呼んだ。日本的な素材や形態をインターナショナル(モダン)なスタイルと融合したデザインといってもいい。そこには、強固なものではないが、ナショナル・アイデンティティへの意識があったといえるだろう。それは敗戦後の消失感と無縁ではなかった。日本的であると同時に、インターナショナルでモダンな印象を持つデザインを実現しようとする気分が潜在的に広がっていたのである。
 そうした日本的なモダンデザインの一つのモデルにされたのは、1950年代の北欧デザインである。それは、まさに「ナショナル・インターナショナル」スタイルを実現していたからだ。当時の雑誌「工芸ニュース」で、北欧デザインがさかんに紹介されたことも、そうした要因があったといえる。

日本経済新聞社分化事業部・キュレイターズ企画構成『Finnish Design 2017』日本経済新聞社 2017年 p.24

 こう書かれている。上記の日本人デザイナーの名前で画像検索して頂くと彼らの作品がずらりと出て来るが、なるほど北欧のデザインに多大な影響を受けているのが見て取れる。
 さて、それでは、何故彼らは北欧のデザインに学ぼうと考えたのだろう。他国からの占領状態で過ごさざるを得なかった歴史を共に有しているからか、それとも当時最も洗練された優秀なデザインであったからなのか。そのどちらの要因も関係していると思われるが、それとは別にモノに対する考え方、或いは素材選びから始まるデザインの考え方に近しいものを感じ取っていたからではないだろうか。昔、たまたま観ていたテレビ番組で北欧の木造の教会が紹介されていた。記憶が大変曖昧なので何処の国かも憶えていないが、番組のリポーターがその教会の関係者にこう尋ねていた。「教会を石造りで建てたり、十字架を金属で作ったりはしないのですか」その問いにはこんな風に答えていたと思う。「建物も十字架もいつかは朽ち果てる。しかしそうなる前に新しく作りかえていく、それが我々の伝統だ」長い年月を経ても朽ち果てない堅牢な石造りではなく、建て替える事を前提とした木造作りを伝統とする。その番組を観た限りではあるが、北欧のその地域ではそれが正統な方法論であり、今後も伝え続けていくべき理念であるというような話であった。これは私が思うに、20年ごとに造り替える伊勢神宮における式年遷宮の考え方と似ている気がする。永遠に壊れることのない堅牢な建物の中にこそ信仰や精神性が宿ると考えるのではなく、何度造り替えようとも、人の手によって作られたものにはちゃんと信仰や精神性は存在するというような解釈だろうか。それはたぶん、外界(自然界)との関わり方に由来するものであるように思える。その辺りの思想が共通するかまたは近似している為、北欧と日本のモノに対する考え方の親和性が高いのではないだろうか。

木造教会 - Wikipedia
神宮式年遷宮 - Wikipedia
日本とフィンランドの関係 - Wikipedia

2017-01-16

フィンランド・デザイン展

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 寒風吹きすさぶ中、久し振りに展覧会へ。都合良く初日に行くことが出来たが、厳しい天候にも関わらず結構な人出だった。この展覧会は福岡を皮切りに、約一年をかけて愛知・福井・東京・宮城と巡回する予定であるようだ。
 一昨年辺りから「北欧デザイン」と呼ばれるものが何となく気になっていて、一度時間を作って成り立ちや歴史を調べようと思っていたわりには全然やってはおらず、結局そのままになっていた。そんなずぼらな私には打って付けの企画展覧会である。

 展示は独立前に作られた家具や食器から始まるが、その頃の物は支配していたスウェーデンやロシアの影響が色濃くいかにも中世の北欧という感じ。それが独立した後で大きく変容するのが興味深かった。その辺りの事情を図録の中で説明してあったので少し引用する。

 一般的には、フィンランド・デザインの根源は、20世紀初頭におこった民族主義運動の高まりにあったと言われている。ロシア支配下の大公国だったフィンランドは、1900年のパリ万国博覧会で始めて独立した展示館をもったが、そのできごとはフィンランドのデザインや建築の様式ばかりでなく、フィンランドの国としての運命をも形作ることになった。

日本経済新聞社分化事業部・キュレイターズ企画構成『Finnish Design 2017』日本経済新聞社 2017年 p.10

 フィンランドは、1159年から1809年まで、スウェーデンに支配されていた。その後もロシアに干渉されていたが、ロシア革命の混乱を契機に1917年、独立する。したがって2017年はフィンランド独立100周年ということになる。およそ7世紀に及ぶ他国からの支配が続くなかで、19世紀にナショナリズムがせり上がっていく。そのきっかけとなったのが、エリアス・リョンロートがフィンランドの伝承や民話を集め編纂した民族叙事詩『カレワラ』だった。1835年、2巻32章のかたちで出版され、1849年、全50章の最終版が作られた。『カレワラ』は、フィンランド創世の神話からはじまる。それは、『日本書紀』や『聖書』などの多くが創世の神話からはじまることと共通している。民族のアイデンティティへの意識は、こうした創世の神話を必要としているといえるだろう。

日本経済新聞社分化事業部・キュレイターズ企画構成『Finnish Design 2017』日本経済新聞社 2017年 p.23

 このように、フィンランドデザインとは、民族のアイデンティティを確立せんが為にフィンランドの人々が起こした運動の一部だったようである。そして会場内にも関連した記述があったと思うが、アールデコやバウハウスから手法を学び取り、フィンランドの伝統的な材料を使い、加工技術を更に発展させる事に拠り、現在へと続くフィンランド・デザインを作り上げていったと想像する。
 この流れを知り得ただけでも私にとっては大変な収穫であるが、その他にも学びがあり、良い展覧会であった。

 本展覧会では現行の食器メーカーからの展示もあり、全てではないが、展示されているのと同じ食器を物販コーナーで買う事が出来る。私はグラスを買った。衝動買いは出来るだけ控えようと考えているので散々迷ったが、実際に使ってみないと判らない事もある、という大義名分を都合良く思い出したので実行したのであった。

フィンランド独立100周年記念 フィンランド・デザイン展公式サイト