NHK 日曜美術館で東京での開催を紹介された際に、巡回先として北九州市美術館が出てきたのを見て以来、待ちに待った展覧会だった。学生の時に、図書館所蔵の画集を熱心に観ていたのを思い起こす。北九州市は新幹線で通った事しかなく、この美術館に行くのも初めてだったので訪問のスケジュールが立てづらかったが、時間を余分に見立てて取りあえず行ってみる事にした。
福岡市天神のバスセンターから三種類のバスを乗り継いで、丘陵地の上に建つ美術館へ到着。石をふんだんに使った豪奢な美術館だった。
- ミセレーレ 1「神よ、われを憐れみたまえ、あなたのおおいなる慈しみによって」1923年
- ミセレーレ 7「自分を王だと信じているが」1923年
- ミセレーレ 8「自分の顔をつくらぬ者があろうか?」1923年
- ミセレーレ 22「さまざまな世の中で、荒れ地に種撒くは美しき業」1926年
- ミセレーレ 29「われを信ずる者は、死すとも生きん」1923年
- ミセレーレ 34「廃墟すら滅びたり」1926年
- 青い鳥は目を潰せばもっとよく歌うだろう 1934年
- 聖顔 1933年
- ヴェロニカ 1945年
- キリスト(受難)1953-1956年
- サラ 1956年
- 受難 6「キリストと貧者たち」1935年
- 受難 9「この苦しむ人を見よ」1936年
- 三本の十字架 制作年不詳
- 聖心 1929-1939年
- キリストの頭部 1939-1945年
- 飾りの花 1947年
- 盛り花 1 1949年
- 聖心 1951年
- キリストと漁夫たち 1947年
いつものように気に入った作品を列挙してみたが、驚いた事には(どちらも紙の作品だが)ミセレーレと受難のシリーズ合わせて75点はこの美術館の所蔵品であった。知らなかった。
考えてみれば、宗教画だけが掲示されている空間に身を置くのは初めてのような気がする。何処を見てもキリストの顔や磔刑にされた姿が視界に入るし、楽しげな雰囲気など微塵もない。それでも自分の裡に滲み出てくる何かが在る。そのような感覚であった。
観ている最中はずっと、頭の中でベートーベンの交響曲7番の第二楽章が流れていた。何故そうなるのか思い当たる節が何もないのだが、ルオーの描く絵と第二楽章の間に何かしらの共通する印象があるのかも知れない。上でリンクしたウィキペディアの記事に書いてあるが、ワーグナーがこの楽章をさして「不滅のアレグレット」と呼んだそうだ。キリストの受けた苦難や、十字架を背負いゴルゴタの丘へと歩く様子から受ける印象が、何処となく似ている気がする。
展示の最後部、「聖書の風景」と題された区域に提示された絵にはスポットが当てられており、一番明るい部分がハイライトとして浮かび上がっていて、宗教画の見せ方として効果的だったと思う。
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